一日の終わりに、私たちは何を思い出すのでしょうか。
この地で「恵まれた」と呼ばれる人々にとって、それは学校や仕事に費やした時間、そして家に帰ってからは退屈を避けようと必死に過ごした瞬間かもしれません。
一年の終わりに、私たちは何を思い出すのでしょうか。
私たちは「新しい目標」を立てますが、それを本当に達成することは滅多にありません。もし本当に達成できるのであれば、なぜ次の年まで待つのでしょうか。
人生の終わりに、私たちは何を思い出すのでしょうか。
大切な人たちと過ごした時間、あるいはもっと一緒に過ごせたらよかったと願う時間でしょう。
人類の終わりに、何が思い出されるのでしょうか。
それは時の傷跡――戦争を通して、そして気候変動という現実に向き合わなかった不作為を通して。
時の傷跡は、すべて私たちの選択の結果でした。
行動を起こすまでに、あとどれほど必要なのでしょうか。
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